ワタシと<公>、としてイラクの人質事件から考えることの続き。
私はこんなことを考えたい、と大見得切ってポイントまで出したのに、
まとまらなくなったワタシ、というものをよく見てみます。
(自分の内面をよく見てみることを、プロセスワークではインナーワークと
呼びます。方法は何でもいいんだけど、今回は書くことでやってみてる
わけですね)
そうすると、「なんかすごく大きくて手に負えないものに手を出してる」
「とても複雑にいろんなことが絡んでいて、ひとつひとつちゃんと考えないと
いけないのに、全体がよく見えなくて、うまく考えられない」
「いもづる式に、自分の予想もしない怖いところにつながっちゃいそう」
「ちゃんと考えられないのに意見表明なんてしちゃったら、反対意見を
持つ人からボコボコに攻撃されそう」
などという思いが、ぼんやり自分を怖がらせてたな、とわかってきました。
こういう感覚が、「社会問題」とか、「政府のやること」「国際関係」など
「公」のことを考えるときに、いつも出てくるなあ、と思います。
いや、修論書いてる時もあったりもするんだけど(笑)、何であれ自分の
手に余ると思っちゃうと大体こういう感じが出てくるな~。
その感じをなくすためには、考えないのが一番ラク。
でもそうすると、最初に自分が感じていたことまで、どっかへ行っちゃう。
それは、イラクの人質のことで言えば、
「大変な思いをして帰ってきた人たちに向かって、<お前の自業自得
(”自己責任”って言葉の裏に私が聞いていたのはこの言葉でした)>は
ひどすぎる」「そんなひどいことを大手を振ってまかり通らせる今の日本って
ムカツクし、怖い」でした。
この感じをなくすことは、私が私である、という感覚まで手放しちゃうことに
つながります。
そうすると、ほかの人やマスコミが大量に流してくる情報やものの見方に
かーんたんに影響されて、影響されてることにすら気づかなくなる。
思えば私は、そのことのほうが怖いのです。
私は私をとても愛していますので、失うのは忍びない(笑)
なので、「私はこう感じる/思う」と、まずはしっかり自分に伝えたい。
そして、人にも伝えたい。
だいたい、人と話している中でこそ「自分はこう思う」がようやく明確に
なってくるんだしね。
でも反対意見からの攻撃も怖いし(笑)、違う立場のひとに理解して
もらうためには筋の通った形にしないと無理だと思うと、
ちゃんと考えなきゃ!→問題が大きすぎて自滅。
まあこのへんは、最初から完成形を目指すところに無理があるので、
ツッコミに助けてもらってよりよい形を目指す、という方向がいいよね。
自分と違う立場との対話は怖いけど、でもそれがないとその先にいけなくて、
つまんない。
ケンカもコミュニケーションのうちだしね。
行き詰ったら初心に戻ってやり直してみると別のやり方が見えたりするし、
あんまり簡単に自滅しなくてもいいみたい。
あ、ちょっと解決って感じがする?
つーことで、今回は香苗のインナーワーク実況中継でした(笑)
前回出したポイントについては、またいずれ書きたくなったら書きま~す。