コメント:2 Date:2004-05-21
昨日20日、イラクで人質になった郡山総一郎さん、安田純平さん、
渡辺修孝さんが話す会が中野であって、行ってきました。
郡山さんが最初の3人の一人、そして後のお二人が後で拘束された方たち。
主催者は、4月にも人質にされた方たちを励ますための会を開催していて、
今回はその続き、という感じでした。主催者発表では800人以上も人が
来たそうで、会場に入れない人も多かったみたい。
私が行った動機は、やっぱり、ちゃんと自分の目で見て、耳で聞いて、
確かめたかった、ということがひとつ。
マスコミの情報操作があまりにも明らかで、彼らやそのご家族の言葉が
(明らかにあったはずなのに一切伝えられない)文脈から切り離されて、
むちゃくちゃな解釈つきで流通させられる程度が、今回耐えがたかったから。
もうひとつは、似通った気持ちでいるはずの人たちと、同じ場所に集まって
それを感じたかったから。
わざわざそんなところに、雨の中行く人なんて、よっぽどの気持ちがある、
ってことじゃない?
話が通じない人とちゃんと話すのも大事だけど、そればっかりだと
疲れちゃうから、「やっぱそうだよね!」って同じ気持ちでいる人と会って
元気を補給したくなるのは、人情ってもんです(笑)
結果:ワタシ、郡山さんが好き(笑)
「自分はまだ文章も写真も下手だけど、知った者の責任として、
今後ともこのテーマを伝えていくので、数年待ってください」と
自分のことを卑下も気負いもなく、客観的かつ愛をこめて語れる姿に、
この人信頼できる、と思いました。
(エラそうな言い方ですねー)
本当に献身している方たちには申し訳ないけれど、私が個人的に、
「社会運動ってちょっと息苦しいな」と思うのは、人との関係の
作り方です。
一人一人の気持ちをしっかり伝え合い、違いも認め合って笑える余裕が、
「問題」を敵として戦う、という姿勢からは作りにくそうだな、と思うから。
違う意見を言ったら、「お前は敵の見方か!」って言われちゃいそうな
怖さを感じちゃうんです。
子供のころの浅間山荘事件がそのパターンを凝縮してる気がする。
まあ、私の内面の批判者を投影してる部分も大きいし、ほんとうは
違うパターンも多々あるとは思います。
でも、集団で動くことが子供のころから苦手な私には、かーなり敷居が高い。
「では、本日の私たちのアピールを読み上げます!」とか聞くと、
「いやー、その「私たち」の中に私はいないよね~」とか思うし、
「イスラム教徒15億人の声です」とか聞くと、インドネシアの
友人知人(のイスラム教徒)の顔が「いや、そんなの知らんよ」って
言いたげに浮かんでくるし。
って、揚げ足取る私もオトナゲない天邪鬼ね(笑)
で、昨日の会にもそういう面はちらちらしていたんだけれど、
でも、確実に違うやり方もはっきり出ていた。
「自分はどうしたいのか」をはっきり持って、楽しくやっていく。
つながれるようなら回りともつながって嬉しい。
その動きは必ず周囲の世界につながっている。
そういう想像力や気持ちよさを生きている人たちが、とおおおっても
たくさんいて、そのエネルギーが私にはとても気持ちがよかった。
郡山さんの上の発言に、私はそのエネルギーを感じたのです。
もちろん彼は同時に、ちゃんと問題の指摘もしてくれていました。
私の記憶に突き刺さったのは、解放されたその夜に日本の警察の
”取調べ”が1~2時間も行われ、拉致拘束の被害者の事情聴取には
PTSDの恐れがあるため精神科医の同席が「常識」なのに、
行われなかったこと。
しつこく何度も同じ事を聞かれたことが、高遠さんのこころを痛めつけた
可能性があること。
8日間も大変な状況にいて、やっとほっとして力尽きたところに、同胞から
もっと虐待されるって、10代のころのように「ああもうほんとに日本なんて
だいっ嫌い!」と叫びたくもなります。
(もう40なので、「自分の中でも敵視した人を先入観で痛めつけるのは
日常茶飯事だからな~」って自分に突っ込みますけどね(笑)
だって、人質になった人たちが武器を持たずイラクの人のために
滞在していたのだと聞いたアルジャジーラの記者たちは、50人ほどの
全員が一生懸命解放に向けて動いてくれたって言うんだよ?
町の人や入管の人が、人質になった人たちに、「同じイラク人が
あんなことをして申し訳なかった」って謝るって言うんだよ?
毎日自分たちを爆撃している軍隊の一部を送っている日本人に。
(太平洋戦争中の日本人が、捕虜になったアメリカ人に、そんなこと
言えたかな?...状況が違うから大雑把過ぎる比較だけど)
そこに起こっているであろういろんな気持ちを考えると、
私はやっぱり泣いてしまいます。
この日話をしてくれた3人の方たちに共通していたのは、「自分は拉致の
被害者だけれど、大きく見れば加害者の一部で、その責任として
今後ともイラク支援に関わる」と、当たり前に言う姿勢でした。
それがね、「当たり前」なの。
すごく気負って自責の念にさいなまれているわけでも、攻撃的でも、
正義を振りかざすわけでもなく、ふつうなの。
目の前でつらい思いをしている人がいるから何かする。
ひと、としての付き合いとして、気持ちとして、できることをする。
そういう、一番初めの基本が、ふつうにちゃんとあった感じがした。
それも、壇上の彼らだけではなく、スタッフや会場にたくさん。
ああいう場を作ってくれた皆様、ありがとうございました。
そして、これを言うと誤解されそうだけど、そういう運動の有効性を
「生きて帰ってこれた」という形で証明してくれた今回の事件にも、
大きな意味で、ありがとう。
郡山さんも言っていたけれど、これでイラクがとても身近になったものね。
人質の人たちの声は僕も直接聞いてみたかったんで、香苗さんが行ってくださったのはうれしいです。イラクへの派兵については、まだイラク人に対して発砲していない、とか一応人道的援助の形を取っている、とかアメリカが怖いからある程度協力せざるを得ないとか政府を弁護したい気持ちもありますが、帰ってきた人質に対する虐待はまったく意外で、衝撃を受けました。
みきおさま
わー、お遊びに来ていただいて有難うございます。
みきおさんのサイトには及びませんが、ぼちぼちいろんなことを
書いていきますので、サイバー環境でもよろしくお願いいたします。