日本は明日が参院選投票日ですね。
繰り返しになってますが、みなさま、選挙に行ってくださいませ。
私の希望としては、現小泉政権(自民党+公明党)は負けてほしいけど、
みなさまそれぞれのお考えがあることと思います。
ちなみに、「みどりの会議」から立候補した小林イチロウさんのサイトは
面白いです。
彼のサイト:http://1ro711.org/top.html
彼を支持してもしなくても、このサイトはとってもおすすめです。
しっかりしたわかりやすい現状分析、マスコミに載らない大事な情報、
気持ちよく生きるためのいろんな選択肢など、楽しく考えるヒントが
満載です。
さて、「<国>のかしこいユーザーになるために:その2」です。
今回のサブタイトルは、「国家は想像の産物:だったら楽しい想像をしよう!」
相変わらず試行錯誤で、長文ごめんなさいです。
「<国>のかしこいユーザーになるために:その1」では、国家は会社みたいなもんで、
その会社が売るサービスがよくなかったら消費者としてクレームをつけよう。
でないと会社に食い物にされちゃうよ、という話をしてみました。
その2は視点をちょっと変えて、私たちはどんなサービスがほしいのか考えようよ、
という話です。
まずは、じゃあなんで「私はこんな国がいいな」と考えることがむずかしいんだろう?
というあたりから。
「国家」の決めたことは自分たちがどうこうできることじゃない。
とっても大きくて、いやでも従ってサービスをしなくちゃいけないモノだ。
でないと後からどんな怖いことになるかわかったもんじゃない。
文句をつけるなんて、思い上がりもハナハダしい。
個人は「国家」ほど大きくなんかないんだから。
って感じのことを、私はなんとなく思っています。
みなさんも、思ってたりしません?
「怖い」話は「その3」でしますね。
でも、たとえ怖くなくても、国のこと考えるのってなんかメンドウだし、自分と
関係ない、手が出せない、って思いがちじゃないでしょうか。
その理由の一つは、「国家や民族は<自然に>出来上がったものだ」って
なんとなく思ってるところじゃないかと私は思っています。
私も、以前はそう思ってました。
っていうか、そう思ってることにすら気が付いてませんでした。
で、国家や民族なんて、個人がどうこうできるものじゃない、そんな<偉大>な
ものに対して自分には何もできない、と感じることになっていました。
でも、数年前に『想像の共同体』(ベネディクト・アンダーソン)という本を読んで、
「なーんだ、国家だって民族だって人間の想像力が作ったものなんじゃん」
って思ったのね。
(ちなみに、nationはもともと「民族」をあらわす言葉だってこともこの本で知りました)
以後、「じゃあ怖がらなくてもいいや。私だって、この世界に参加している人間の一人。
私の声だって、今まで<国>ってシステムを作ってきた一人一人と同じだけ大事だし、
国家に反映させてもいいんじゃん」と思ったんですね。
私の中で、ミンシュシュギが生きて声を持った瞬間です。
「国家」も、人間が恣意的に(=自分勝手に)作ったシステム。
私と同じ、人間の、いろんな人たちの思惑の押し合いへし合いが作ってきたもの。
思惑が現れる領域によって「経済」「政治」「行政」「国際情勢」「法律」などなどと
呼ばれますが、もともとは、「あれ欲しい!」「言うこと聞け!」「あいつキライ!」
「一人じゃ怖いから仲間を作ろう…」といった基本的な感情の動きですよね。
だっだら、どうせ想像なら、自分(たち)が暮らしやすいように私たちの恣意も
持ち込んで、変えていけるじゃない?
という話を展開している本『ナショナリズムの克服』(姜尚中・森巣博、集英社新書)、
おすすめ!です。
私には、なんか読んでて楽しく元気になる本でした。
もひとつついでに、関曠野(せき・ひろの)『民族とは何か』(講談社新書)も
おすすめです。こちらは、民族とか国家とかがどんなふうに出来上がってきたものか
「そうだったのか!」って感じでよくわかります。
どっちも新書だし、特に前者は対談だから、すごく読みやすいよん。
「国家」がどれほど恣意的に作られてきたかわかると、けっこういろんな
思い込みから自由になれます。
-幽霊の 正体見たり 枯れ尾花-
相手の正体がわかるとヤミクモにおびえなくてもすむのは、幽霊でも
対人関係でも社会問題でも同じだよね。
『ナショナリズムの克服』がすてきだと思うのは、いろんな複雑な問題を
忘れて麻薬のように楽観的に言っているわけではなく、問題は踏まえて、
その上で、「国家も想像から始まるのだから、私たちの想像力=クリエイティビティを
駆使して楽しく生きる方向を想像をしよう。そうしたら、社会的少数派が気持ちよく
生きられるシステムが実現できるかも」と呼びかけているところです。
少数派っていうのは、単に数が少ないことも意味しますが、数が多くても
社会的に優遇されていない、力をもっていない場合も含めます。
例えば、男性社会の中の女性、お金の力が強い社会の中のお金が稼げない人
(年齢や身体・精神的状態や差別など、いろんな理由がありうるよね)、
日本に生きる「純日本人」以外の人、異性愛が当たり前だと思われている中の
同性・両性愛者、男女の性別は明確で当然という社会の中のインターセックス
(性器がどちらかだけに分類できない人)やトランスジェンダー(現在の
自分の体の性別に違和感がある人)。
上記は私に身近な例ですが、どんな人にも、多数派である側面と少数派である
側面があって、少数派にとって生きやすい社会は、多くの人にとって生きやすい
社会だろうと私は思います。
たとえば私は「純日本人」「高学歴」「異性愛者」なので、それがないことで
苦労したことはありません。両親が日本人じゃないからといじめや進学・
就職差別をされたことはない。院卒じゃないと入れない学校にも問題なく
入れる。パートナーと人前で腕を組んで歩いても、変な目で見られない。
(もっともうちのたまは腕を組むのを嫌がりますが、それはまた別の話(笑)
何の苦労もないから、そんな特権を持っているとも気がつけない。
それが、私が主流派である、という意味です。
一方、私は「女性」なので、痴漢やセクハラにも遭ってきたし、進学や就職状況に
明らかな女性差別も経験しました。もちろん、さまざまな差別的お言葉は日常茶飯事。
「~(とある思想家の名前)は、女性には難しくてわからないと思うよ」とか、
「やっぱり女性に入れてもらったお茶はおいしいね」とかね~。
しみじみ、<ああこの人の目には、「院卒」という肩書きも、実際に会話する中に
表れる私の頭の働きも、私個人がお茶好きでお茶淹れスキルが高いのだという
発想も入らず、この人のイメージする「女性」というものしか見えないのだなあ。
そのイメージは「社会」のみなさんが「そう思っていい」と後押しをしているのだなあ>と
思うんですね。
そしてもちろん、私自身の中にも、「女性」のステレオタイプは厳として存在し、
私の行動を規制しています。
何かしようとしたときに、いちいち引っかかる。
何もしてなくても、何かいやなことが起こる。
そういうのが、私が少数派である、という意味です。
私は、自分がいやな思いをするのがイヤなので、そんなことの少ない社会がほしい。
そして、他の人にも、いやな思いをしてほしくない。
それは、私がその人の気持を想像するといたたまれないから、という理由も
ありますが、もう一つ、私自身がいつ、どんな少数派になるかわかったもんじゃ
ないので(少なくとも確実に老います)、私自身の安全保障にもつながるから、
という理由があります。
少数派が生きやすい社会は、どんな人にも生きやすいはずだ、というゆえんです。
だから、私が想像するのは、人が、自分のあり方も他の人のあり方も、
共通性も差異も含めて、尊重できる関係性。
人と人との間の揉め事が暴力(国家間なら戦争)にまでエスカレートする前に
気がついて、解決法を探る集団的合意。
理詰めや策略でやり込めるのではなくて、お互いの感情がしっかり満足できる
方向を探れるシステム。
戦争を動かす大きな力は「利権」ですが、それがほしいと思うオオモトの感情自体に
働きかけられるような方法。
そのための方法として、私はプロセスワークを学んでいます。
でも、人それぞれにいろんな方法があると思います。
みなさんなら、どんな社会/国家/システムがいいなと想像します?
現実的じゃないぞ?
もちろん。夢ですもの。
「夢だっていいじゃない」というのは川原泉の傑作「笑う大天使(ミカエル)」の
続編のタイトルですが、夢がなければ何ごとも始まりません。
夢だって、いいじゃない?
まずは、夢を見る。
そして、その実現の方法を、「現実」をきっちり分析した上で考えればいいんです。
たとえ今すぐ実現しなくても、焦ることもない。
あと何百年かのうちに起こったらラッキー。
夢見ることには実は、「そっち方向に考えているだけで元気になる」という、
「今ここ」における<現実的な効果>もあるんですもん:)
はじめてコメントします。
小林イチロウさん、私もチェックしていました。
私と年齢はあまり違わないのに、意見や信念に共感しました。すごいですよね。
政治に関しても、他の事に関しても、
自分の考えを伝えるのって、痛みを伴うことだと思います。
でもその痛さは、自分を成長させるのかな~、
痛みは気づきなのかなぁ~、なんても思います。
私も、痛みは嫌いですが(笑)
あ、偉そうなことを書いてしまった (・ω・A;)あせあせ
まるすさま
コメントありがとうございます。
ええっと、もしかしてまるすさんは、文鳥を飼っていらっしゃいます?
お遊びにいらして頂いて、有難うございます。
サイバー環境でも、よろしくお願い致します。
痛さで成長や痛みが生まれる。
その通りですね。
今後とも、偉そうなことをがしがし書いてくださいませ。
ほんとうは痛くなる前に気がついて成長できればいいなと
思うのですが、不精なもので、必要(痛み)に迫られないと
なかなか動きません...
不精をやめるか、ずっと痛い思いを続けるか、というのは、
けっこう究極の選択ですねー。
はい、文鳥飼いのまるすです。
こちらでもよろしくお願いします!
今回の選挙、もちろん行ってきたのですが、
結果には不安を感じています。漠然としたものですが。
これから、日本のこと、政治のこと、世界のことにも
目を向けていきたいなぁと、感じた私でした。
今まで「難しい」と逃げていたことばかりだけれど、
理解する姿勢と、自分の判断基準を持つことは大切かな、と思ったりしています。
不精をやめるか、痛い思いを続けるか・・・
バランスよく経験したいですね・・・って都合がいい?(笑)
まるすさま
あはは、「バランスよく経験したい」、私もそう思います。
今回の選挙はほんの始まりで、これからちゃんと私たちが自分でものを考え、
マスコミの流す情報を鵜呑みにせず、マスコミに乗らない情報も集めて
状況を把握して、声を上げていかないと、ものすごく苦しい重いがすぐ数年後に迫っている気がします。
コレに関しては、不精をしてたら痛いぞ!ってわかるので、こんなに焦っちゃうんでしょうね。
でもまあ、できることからして行きましょう~。